ともカメラ!!~まいにちフィルム~

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DVが原因で、15年ちかく恨んでいた父親と和解した話 その1

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こんにちは!ともカメラ管理人、ともひろ(@Tomo_camera_)です!

 

昨日、3年半暮らした神奈川県溝の口から、

実家のある東京都吉祥寺に戻ってきました!

 

吉祥寺って街はたった数年間で

駅ビルが馬鹿みたいにでっかくなったり、

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引用URL:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/

お気に入りのラーメン屋が天丼屋になっていたり、

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いろいろ移り変わりが激しいので、久しぶりに帰ると戸惑います。

 

ただ、生まれてから20年以上住んでいた街なので、

歩いてるだけで心と体が勝手にリラックスモードに入ります。

だいすきな井の頭公園もすぐそこにありますし。

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同棲を解消して、飛び出したはずの実家に戻ってくるなんて、

めちゃくちゃダサいのはわかってますが両親は優しく迎えてくれました。

 

でもこの1年間、僕は両親とは一度も連絡を取ったことがありませんでした。

原因は、「父親」です。

 

両親と疎遠になったきっかけ。

先日お別れした彼女とは、お互いの両親への挨拶も済ませ、

あとは"いつ結婚するか!"という段階でした。

僕も2017年の3月なんて、とっくに結婚してると思ってました。

 

しかし、僕と両親の間で大変な問題が発生します。

それは、「名字を変えるか否か」です。

 

僕は両親からなにを言われても名字を変えようとしました。

理由は、"父親と同じ名字を捨てたかった"からです。

 

父親が小さい僕にした、むごいこと。

僕は小さい頃から、

父親に理不尽に暴力をふるわれ続けてきました。

木刀で部屋のドアをグチャグチャに壊され、殺されかけたこともあります。

 

今ならわかりますが、

父もストレスや、息子へ暴力を加える自分に悩み、苦しみ、責めていました。

 

でも、父の暴力や大きな怒鳴り声、

何がきっかけでキレるかわからない振る舞いは、

僕の人生に取り除くことのできない、おおきなおおきなトラウマを形成しました。

いまでも、父親の声を聞くと身体が緊張して、心が萎縮します。

 

暴力に怯えきった僕をさらに苦しめたのは、

父の口から出る「お前を愛してる」「幸せになって欲しい」という、

暴力と相反する優しい言葉でした。

僕も十分すぎるほど愛されているのは知ってたし、感謝もしていました。

 

しかし、僕を殴る父親と、僕を愛する父親がどうやっても一致せず、

僕の心はストレスでおかしくなりそうでした。

 

何万回「殺してやる」と思ったかわかりません。

ひとり暮らしを始めるのがあと1ヶ月遅かったら殺していたかもしれません。

その一方で、「父に感謝したい自分」「父と仲良くしたい自分」もいて、

自分の心が、わからなくなりました。

 

僕は、「人に本心を明かさない」という方法で心を守った。

そんな環境で育ったせいで、

僕は「自分の心を明かさない」「本音を言わない」という方法で、

孤独に耐えてきました。

 

長年そういう生き方をしてきたので、

僕は表面的な付き合いがとても上手に見られる事が多いです。

 

「人見知りとかしなさそ〜!」

「誰とでも仲良く出来て羨ましい!」

「コミュ力高いよね〜!」

 

違います。

 

本心を明かすことができないので、

表面的にヘラヘラ笑ってその場をやり過ごしているだけです。

そうやって、人との距離感を一定に保ってきました。

そのせいで、誰かと深い関係を築くのがとても苦手です。

 

しかし、ある会社に就職したころ、困ったことが起きました。

ある上司にこう言われたのです。

 

「君ってさ、本心見せてないよね。」

 

26歳、人との接し方がわからなくなった。

その後、僕はその上司にひたすら"無視"されました。

本心を見せないような奴にはそれなりの接し方をする」だそうです。

目は合わせない、電話を取り次いでも無言、僕と二人で作業をする時は露骨に舌打ちするなど、嫌なことをたくさんされました。

 

不運だったのは、

その上司が職場のムードメーカーだったことです。

他の上司に、無視されてることを相談したら、

アイツがそんなことするわけないだろ〜!!」の一言で片付けられました。

助けてくれそうな人はいませんでした。

 

それもそのはず。

 

僕はほとんどの上司から、

「アイツは何考えてるかわかんない」「本心を見せない信用出来ない奴」と見られていました。

 

僕は「本心を明かさず、表面的な人付き合いをする」方法しか、

人との接し方を知りません。

だから、本心を明かしてくれと言われても変えようがなかったのです。

変え方すら知りませんでした。パニックになりました。

 

その結果、職場に居づらくなり、

同時期に身体を壊して歩けなくなったこともあって退職しました。

ほんとうに辛くて、苦しかったです。

 

なぜ、他人との付き合い方でこんなに悩まなきゃいけないのか。

無視されたり、本心がわからないと言われるようになった原因は…?

なぜ僕は人に本心を明かさなくなったんだっけ…?

 

 

 

そうだ、父親だ。

 

父親に、自分がしたことを理解させてやることにした。

父親のせいでこんなことになった。

小さい頃からずっと殴られて、怖くて、自分の言いたいことも言えずに育ったから苦しんでこうなってしまったんだ。アイツに植え付けられたトラウマのせいでおれの人生はうまくいかない。死ね。死ね。死ね。死ね。早く死ね。

 

本気で思っていました。今でもトラウマを植え付けたことは恨んでいます。

 

だから結婚を期に、新しい名字に生まれ変わりたかったのです。

これは僕が中学生の頃から思い描いていた夢です。

やっとトラウマから開放されて自分の人生を生きられるんだ…!

 

そう思っていたのに、、両親は大反対。

 

「なぜ長男が家名を捨てるんだ」

「絶対に許さない」

「名字を変えるというなら、お前の結婚式には親戚を誰も参加させない」 

 

などなど、いろいろ言われました。

 

でも、僕だって両親に向かって

父親を殺したいくらい恨んでるから名字捨てます」とは言いたくありませんでした。

でも埒が明かないので、僕は父親に"自分がしたことを全て理解させてる"ことにしました。

 

いままで、僕が殴られたこと、怒鳴られたこと、思いつく限りの全てを列挙して

メールで親に送りつけました。

それを見た父は数日寝込むほどに落ち込んでしまったようですが、

当時の僕は「それくらい当たり前だ」と思っていました。

「ざまみろ」とさえ感じていました。

 

長くなってきたのでPart.2へ続く。

 

2017/03/12 追記

Part.2書きました!良ければどうぞ!!

 DVが原因で、15年ちかく恨んでいた父親と和解した話 その2 - ともカメラ!~引きこもりがカメラを趣味にしてから~